阪神・淡路大震災(1995年1月17日)は、戦後日本の災害対応の在り方を大きく変える転換点となった災害です。当時は現在のような支援制度が十分に整っておらず、国や自治体の対応は「手探り」で進められました。その経験が、後の災害対策や支援制度の整備につながっています。

発災直後、国と自治体が最優先で行ったのは人命救助と応急対応でした。自衛隊、消防、警察が投入されましたが、当初は出動要請や調整に時間がかかり、救助が遅れた地域もありました。多くの人が家屋の倒壊により亡くなったことから、「初動の遅れ」が大きな課題として認識されました。自治体は学校や公園などを避難所として開設し、食料や毛布の配布を行いましたが、物資不足や情報混乱も深刻でした。
生活支援の面では、現在では当たり前となっている制度が、当時はまだ存在していませんでした。代表的なのが「被災者生活再建支援金」です。阪神・淡路大震災当時は、住宅を失っても国からの直接的な現金給付はほとんどなく、義援金や自治体独自の支援に頼らざるを得ませんでした。この経験から、「家を失った人の生活を公的に支える仕組みが必要だ」という声が高まり、後に被災者生活再建支援制度が創設・拡充されることになります。
住まいの確保では、応急仮設住宅が大量に建設されましたが、完成までに時間がかかり、多くの人が長期間避難所生活を余儀なくされました。特に高齢者が慣れない仮設住宅で孤立し、体調を崩す「災害関連死」が社会問題となりました。この反省から、後の災害では「みなし仮設住宅(民間賃貸の活用)」や見守り支援が導入されるようになりました。
仕事と収入への支援も十分とは言えませんでした。多くの中小企業や商店が被災しましたが、災害時の雇用維持制度や再建補助は限定的で、廃業や失業が相次ぎました。国や自治体は復旧融資や公共事業による雇用創出を進めましたが、制度の周知不足や手続きの難しさが課題として残りました。この経験が、後の雇用調整助成金の特例や事業再建補助制度の整備につながっています。
一方で、阪神・淡路大震災で特筆すべきなのが「ボランティア元年」と呼ばれる市民の支援活動です。国や自治体の支援が十分でない中、全国から多くのボランティアが駆けつけ、炊き出し、家屋の片付け、心のケアなどを担いました。これを受けて、自治体や国はボランティア受け入れ体制の重要性を認識し、後の災害対応に制度化されていきます。

阪神・淡路大震災における国と自治体の支援は、決して十分とは言えませんでしたが、その数多くの教訓が、現在の防災・減災政策や被災者支援制度の礎となっています。この震災は、日本が「災害とどう向き合うか」を根本から見直す契機となった災害だったと言えるでしょう。


