阪神・淡路大震災(1995年)における災害避難時の心理的ストレスは、日本で初めて大規模に「心の被害」が社会問題として認識された災害であったと言えます。それまでの災害対応は、主に物資やインフラ復旧が中心であり、被災者の心理状態への配慮は十分とは言えませんでした。阪神・淡路大震災は、その考え方を大きく転換させる契機となりました。

震災は都市直下型地震であり、早朝に突然発生しました。多くの人が就寝中に激しい揺れに襲われ、家屋倒壊や火災により、身近な人を失う経験をしました。この「不意打ち性」と被害の即時性は、被災者に極めて強い恐怖と混乱を与えました。命の危険を直接体験したことにより、発災直後から不眠、動悸、過度な不安、感情の麻痺といった急性ストレス反応が広く見られました。
避難生活においても、心理的ストレスは深刻でした。当時は現在のような避難所運営マニュアルやプライバシー確保の考え方が十分に整備されておらず、学校の体育館などで雑魚寝をする環境が長期間続きました。暖房や衛生設備が不十分な中、寒さや騒音、プライバシーの欠如が重なり、精神的な疲労が蓄積していきました。
また、阪神・淡路大震災では「孤独感」が心理的ストレスの大きな要因となりました。都市部での災害であったため、地域のつながりが希薄な被災者も多く、避難所や仮設住宅で孤立する人が少なくありませんでした。特に高齢者では、話し相手がいないことによる不安や抑うつが顕著となり、体調悪化や生活意欲の低下につながるケースが多く見られました。
この震災で初めて広く注目されたのが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)です。被災体験を何度も思い出してしまうフラッシュバック、強い警戒心、感情の不安定さなどの症状が長期間続く人が多く、精神的後遺症の存在が社会に認識されるようになりました。また、強い心理的ストレスが原因と考えられる災害関連死も問題となりました。
一方で、阪神・淡路大震災は日本の災害支援体制に大きな変化をもたらしました。被災者の心の問題に対応するため、臨床心理士や精神科医による相談活動が行われ、「心のケア」という概念が初めて本格的に災害対応に取り入れられました。また、ボランティア元年と呼ばれるほど多くの支援者が被災地に入り、人との交流が心理的支えとなった事例も多く報告されています。

阪神・淡路大震災の教訓は、その後の東日本大震災や能登半島地震へと受け継がれています。心理的ストレスは目に見えないため後回しにされがちですが、放置すれば命や生活再建に大きな影響を及ぼします。この震災を通じて、日本は「災害では心も傷つく」という事実を学び、現在の防災・避難支援における心理的配慮の基礎が築かれたと言えるでしょう。


